「狭い範囲だけど、日々の社会との触れ合いの中で思うこと」

自分が社会と触れ合った範囲内のことですが、思ったことを忘れないよう書き残したい

「両想い」になれるか、私次第🧡

悲しいことのあとには、嬉しいこともあるもので‥(長男よ⑦のあと)

子供の部活の付き添いなどでご一緒したことがある、あるお母さんから「ご一緒にランチでもいかが」とお声かけがあった。

ううう‥ヤッター(⌒▽⌒)!!。

何度かご一緒するうちに、彼女の「人間偏差値の高さ」に触れ、

私は「彼女と絶対友人になるべき」「こういう方とそうそう出会えるものではない」と、思い続けていた。

グチばかりになってしまいそうなタイミングで安易にランチなどに誘うことをしないで、関係を大切にしてきたつもりだった。

私はまさに「親しき仲には礼儀あり」という言葉を噛みしめている。

でも、だからこそあまり過度な期待はせず、ざっくばらんに、言葉を選んで、仲良くなりたい。

彼女と「両想い」になれるかどうか(^^)。

長男よ⑦YouTubeを我慢できない

私が仕事から帰るのを待っていてパソコンのパスワードを入れさせる。

塾から帰ってその足でまたパスワードを入れさせてYouTubeを観ようとする。

あのさ、で始めても話を聞こうとしないしようとしない。

じゃあパスワード入れてやらなければいいじゃん?と思いきや、長男は暴力や破壊に走ります。

この間だって、階段から突き落とされそうになったし、家中のクローゼットやタンス(つまり収納スペース)全部ひっくり返されました。ドアも外れました。

私にはまだ具体的にやりたいことがあり、会って話をしたい人もいます。予測のできない楽しいこともあると思います。なので、ケガをしたり、死んだり、したくないのです。

高校受験を控えてのこの状態、いつまで続くんでしょう?

普段から家庭不和(いちばん極端な例が殺人)をニュースで目にするたび「人ごとではない、人ごとではない」と、唱えるように考えています。

長男が何か起こすたび、気力・体力ともに奪われて家事もストップするので、部屋も荒れてきます。

ものを捨てるだけでなく、心の底から断捨離を理解して実行すると少し解決の糸口が見えてきそうな気もしています。

それは勘ではありますが、今の家の中の状態を見ていると私の考えは間違いないと思えます。

♯仕事をセーブして本当に断捨離しようとしてたら

♯コロナが広まって家族全員在宅で

♯機会を失った

♯家族がいたって断捨離すればいいじゃん?

♯家族が出払った家で考え方しながら断捨離したい

♯うちの家、爆発寸前だ

井筒八ツ橋本舗 京わらび餅 京都ぶらぶら は美味しい!

京都に行ってきた友人から、わらび餅をお土産にもらった。

日本茶を淹れて、わらび餅のパッケージを眺めながらいただいた。

美味し〜い!

約300グラム入っているので、決して軽い荷物とは言えないこのわらび餅を、友人の気持ちと共にありがたくありがたくいただく。

話は変わって、うちの夫と子供(20歳)は「いただきもの」の価値を「分かろうとしない」人たちで、ビリビリと包装を破り開けて

食べたり使ったりほったらかしたりする。

私も昔はそうだったのかもしれないな。

いい歳になった今は「人が自分のことを考えてしてくれること」のありがたさがよく分かるので、包装をされた状態を眺め、そこにある情報を読み取り、「開けてしまう」という行為は同じであっても、なるべく丁寧に開けて、夫や子供に少しだけ「いただいたもの、してくれたこと」について話す。

少なくとも自分だけは、生きている限り、そして認知症とかにならない限り「他人がしてくれたこと」への思いを巡らせることができるだろう。

夫は無理としても、子供は歳をとった時にそれができる人間になっていてくれるといい。

もちろん、パートで働けることも、大好きな家があることも、夫には感謝していますよ。

井筒八ツ橋本舗

♯京わらび餅

♯京都ぶらぶら

♯抹茶 ニッキ 柚子 があるみたい

♯今回いただいたのは「抹茶」

♯京都行きたい

♯大学時代の友人に会いに

脳卒中》とにかくすぐ救急車‼️

こんにちは。

「とにかくすぐ救急車を呼ぶ!」

脳卒中脳梗塞脳出血くも膜下出血)を

起こすと、られつが回らなくなったり言葉が出にくくなったり(一瞬間が空いたり)、左右片方の体を支えられなくなり崩れ落ちるように倒れたり(それでも何かをしゃべっていたりするのですが)、しますよね。

目の前で一緒にしゃべっている人にそのような症状が見られたら‥

すぐに「♯7119に電話」

または119(救急車!)に電話です。

「自分たちは大丈夫」

「人の世話にはならない」

「子供に教わることなんて無い」

スマホ(携帯電話)を使う習慣がない」

「え?救急車??必要ない」 「料理が出来なくなり部屋も散らかり放題、同じものが幾つもあるのに認知症だと認めない」 /p>

そういう高齢者は本当に怖いです。

愚かで怖いです。

(お父さんゴメンね。今回の件はそうなんだよ)

様子が変(倒れてる)。だけど人の世話にはなりたくない。なに、大したことはない、そう思って時間が経過するうちに、その5分、10分のうちに脳がどんどん壊れていく。

あと5分早ければ「脳の壊れ具合」がもう少し軽く済んだかも(機能が残ったかも)、と強く思います。医者じゃなくても間違いは言ってないと思います。

両親と離れて暮らしています。

どのくらい離れているかと言うとドアtoドア

(飛行機を使って)で5時間です。

話を聞いて「ああ、母がご近所で倒れてすぐに父が『こりゃまずい』と思ってくれてたら‥」と今でも思います。

母は崩れ落ちたあとも何かレロレロしゃべっていたようで、駆けつけた父は「(さあ立って)早く家に帰ろう」と促していたようなのです。父に知らせてくれた人が「ご主人、救急車を呼びましょう!」と持っていたスマホで呼んでくれたそうです。

母は入院。病名は「右脳皮質下出血」。

右脳の出血なので、左半身麻痺で期限ギリギリまで入院させてもらい、作業療法士理学療法士言語聴覚士の方のリハビリを受けましたが、改善せず、老人施設への入所となりました。

なんとか入院中と同等かそれ以上のリハビリが受けられないかと思い、地域包括支援センターの方に尋ねてみましたが、もしそれを望むなら退院後は個人で雇うしかない=分かりやすい言葉で言うと「脳梗塞後の長島茂雄のリハビリのような事例」のイメージとのことでした。

父はそれでも入院当初「いつごろ良くなって帰ってくるんだろう?」「家を改装(スロープとか)することになるだろうか」と話していたので、

「お母さんは2度とこの家に戻れない」と伝えなければなりませんでした。 

本当に残酷です。家の設計や設置してあるものすべて母が選んだその空間に、二度と帰ることが出来ません。父と共に庭いじりをしていて、「今度はあそこをこういう風にしよう」と考えていたと思うのです。それからご近所さんのところに行って‥それが長年過ごした家での最後に、突然、なるのです。 入院後すぐにコロナの影響が広まって、父は面会ができなくなりました。

高次脳機能障害をお持ちの医師、山田規畝子(やまだきくこ)さんの「壊れた脳、存在する知」「それでも脳は学習する」「高次脳機能障害者の世界 私の思うリハビリや暮らしのこと」という著書に出会い、生きている限り脳は補い合い、感じようとし続けると確信しました。

父にも送り、とにかく体に触ってさすったり(さすれるところ全部)画用紙に大きく書いた字を見せたり話しかけたり、父もやる気になっていたのですが、そこに来たのがコロナでした。

アクリル板越し、施設がいちばん神経質な時は父は外でガラス越しに母と面会(?)していたそう。

職員の方が「ほら、お父さん来たよ」「〇〇って言ってるよ」と側で伝えて下さっていたようですが、母の「父を認識できない度」は増すばかり。

そして父はスマホを持たないため、職員の方に動画の撮影をお願いすることも出来ず、コロナで飛行機移動できない私は母の様子が一切分かりません。時々施設にお電話して、様子を伺うくらいです。写真を送っていただくくらいです。

脳梗塞の症状や対処法をを知ろうとせず、スマホのような便利な道具を使い仲間や家族とやり取りをする同じ老人をバカにしてきた父と母は、今、もっとも情報弱者です。 バカじゃないけどバカです。

母が倒れる5ヶ月前、帰省していました。 コロナのコもなかった時期です。母は認知症の混乱の中、私に「父に女の人がいるようだ」と訴えていました。かなり必死に。 「父からひどいことをされた」「親戚でこんなことがあった」いずれも「私は被害者側」関係の話でした。どれが本当でどれが本当でないか、確かめようのない話です。

「女の人」の話はまったく違っているわけではなさそうで、父は老人の集まりで出会ったようです。

娘としてはお友達程度の関係で、お金がそっちに流れてなければ良しかな、と思っています。

施設の方が母の写真を送って下さいました。 顔も左半身麻痺の一部なので、笑顔が少し歪んでいます。でも良い笑顔です。たくさん話しかけてもらっているのでしょう。友人も少ないので、人生で今がいちばん他人と接しているかもしれません。友人を選んで「あの人イヤ、この人キラい」と言っていた母に「ね、お母さん、世の中にはいい人がいっぱいいるでしょう?」と尋ねてみたいです。

母が要介護5でほぼ寝たきり(昼間は車椅子)でも、私たちのことが分からなくても、心が穏やかな状態で昼間は周りのことをあれこれ関心を持てて(=どうしても注意力散漫(笑))夜ぐっすり眠れているようなら本当にそれで良いと思います。思えるようになりました。

お母さん、オミクロン株とか「第6波(なんやねんそれ)」とか、大事にならないで、「東京でも20人」「地方はほぼゼロ人」のままいけば会いに行けるので、どうぞお元気で。献立表も時々送ってもらうのだけど、季節を感じるものも取り入れてくれていますね。お母さんの笑顔から「たくさん話しかけてもらってるんだな」というのが分かります。

もし、このブログを読んで下さる人がいれば

「ご家族や、目の前でお話している人に脳梗塞の症状があったら、とにかく1秒でも早く救急車を呼んで!!!誰かを頼って!!」とお伝えしたいです。

処置がなされるまで何分、何秒速いかで、随分違うと思うのです。

オフコースとオサムグッズ

オフコース

オサムグッズ

どちらも当時の中高生(オフコースはもっとファン層広いと思うが)に人気だった。

けど!

なんと中学生だった私は、オフコースを「クラスの彼氏持ちの、すごいヤキモチやきの(ちょっと用事でその彼氏としゃべっただけで睨んでくるような)、気持ちの悪い女がファンだ」という理由で聴かなかったのであり、

高校生の時はオサムグッズを「なんだか信用できないクラスメートが喜んでたくさん所有している」という理由で買わなかった。

今まで誰にも話したことは無い。

CMで小田さんの声を聴いたり、オサムグッズがにわかに復活していたりするのを見かけても、あの頃の気持ちを思い出してしまう。

中高生のころって心の中で毒ついてたりするから、事例は違ってもみんなこういうのあるんじゃないだろうか?

ちなみに小田さん(オフコース?)の曲の中で「眠れぬ夜」は好き。西城秀樹が唄っていた。メロディが好き。歌詞の内容は複雑。

「へ」でもないさ、と思えるまで

ここ3週間、頭から離れないことがあって、yahoo知恵袋、InstagramYouTube、夫、友人、に助けを求めてもがいていた。

頭から離れないんだから、仕方ない。

私に意地悪する人の心理は??

その、意地悪する人のことを考えてる間、相手は何も考えずにあくびとかしてるよ、と分かっていてもそんなに簡単に「じゃ気にしないようにしよう」と思えるものでもない。

本当に少しづつ、「そうと決めつけない」

(意地悪されてると決めつけない)、

とか、

「あなたに自覚がなかったとしても、相手から見てうらやましいものを持っている、またはあなたの活躍を妬んでいる」→ふーんそうなのかぁ、とか、

相手のよいところを見る→「あんなことをしてくれたこともあったよねー」とか、

考えてる日々の中でまた「それっていぢわるじゃないの??」ってこともあったりして

毎日毎日何をしてても頭から離れない中でいろんな気持ちになりながら、

決して甘やかさないのに、励ましてくれる

知らない人たち(SNS)、知ってる人たちに

囲まれて。

だんだん「立ち直るまでの時間」が短くなってきました。

「一旦気にするけど、いつまでも気にしない」

「自分のまま居れば、次にその人たち(意地悪する人ね)に会うのが嫌じゃなくなる」

「私が『意地悪されてるのを感じる!』って伝えなくても、私のことを分かってくれる人が必ずいる」

伝えたら「世の中自分の思い通りになることのほうが稀だよ。どこの団体に行ってもそういう人はいる。俺もうまく立ち回れない方だけど」と慰めてくれる夫。

意地悪する人、他の人に分からないように意地悪する人、「私は心の底では認めない」よ。

肝心な時に、何も言わずに、私はあなたたちを心から外します。

それができるようになってきた。

いくところまで行くと、考えて考えて考え抜くと、知らない間に良い人に出会いながら心が鍛えられたんだな。

つらいことはこれが終わりじゃないだろうけど、「いつか抜けられる」ことが分かっていると、幾分ラクできるかなと思う。

悔しいなぁ悔しいよ

なんでこうなっちゃうの?

悔しかったことを夫に話しながら、一緒にいろいろ原因を模索する。夫は割とお気楽に考えながらも「こうしてみたら?」のヒントをくれる。「確かに!それ、言えてるね」「マジやってみようかなぁ」と思えることもある。

うまく行く日が来たら、その時は夫に抱きついてしまうかもしれない。

本当の本当の(自分のドロドロしたところも)心底の気持ちを、夫には聞いてもらうから。

見ててよ。