「狭い範囲だけど、日々の社会との触れ合いの中で思うこと」

自分が社会と触れ合った範囲内のことですが、思ったことを忘れないよう書き残したい

長男よ⑧どうなるんだろうね君の人生

中3の君。

君とまともに話をできる日が来るんだろうか。

高校に入ったら「忘れ物を取りに帰る」なんてことはできなくなるよ。

何を言っても「いーんだよ!」

「いいから!4000円ちょうだい!」

(あげないと暴力ふるう)

「YouTube1時間」の約束は絶対守れず、声をかけると暴力、ドア破壊、そのまま2階に行ってお風呂入らず。翌朝入ると言って、シャワーで浴室濡らして入ったフリをする。知らないとでも思ってんのかな。

発達障害グレーであわてんぼうだって分かってるのに、進路のことで「まだ出てないのお前だけだ」と急かすなんて君の担任は本当に配慮が足らないね。何にも学んじゃいないね。そんな人にノセられて、慌てて進路きめちゃったね。

自称ベテランの先生ほど「いろんな子を見てきました。何も問題あると思いません」の一点張り、思考停止状態で、

20代の若い先生たちの方が、いじめの芽を摘み取ることや、自閉症発達障害のことについて教育を受けていて、よほど頼りになる。

先のことは分からない。君が高校で、刺激を与えてくれる先生、クラスメイト、部活の先生、部活の友人先輩後輩、に出会っていけることを切に願う。

郵便配達が明らかに遅くなっていると感じる〒

近所のポスト📮の2回集配があるうち、1回目に間に合うように、12月7日の正午ごろに投函した。

東京-福岡の普通郵便(スマートレター)。

10日にも届いていないという。

7日(火曜)集配-8日-9日-10日(金曜)

え?届いてないんだ。とびっくり。

同じ週のうちに届いてほしいと思って投函したんだけど。

2021年10月からだったか、土曜の配達を(速達やゆうパックを除く)しないと新聞で読んで、同時に「今まで1日〜2日で配達していたものが2〜3日後の配達になる」というのも読んだ気がする。

なんていうか、昭和40年代くらいに戻った感じがする。

東京-福岡(福岡市内)に投函3日後に着かないなんて。

味方が居ることを思い出せますように

今年を振り返ると、

職場を変わったり

息子が何度も暴れたり

息子に騙されたり嘘つかれたりお金とられたり

娘が旅行に行くのは彼氏となんじゃないかと思ったり

娘が妊娠してなくてホッとしたり

仕事的にはそーんなに忙しくはないのに

「なんでこうなっちゃうわけ?」と精神的に時間取られてると感じる一年だったと思う。

でも、友人たちもだいたい同じくらいの歳なので、子供がいてもいなくても、それぞれいろいろあるのか、11月と12月は「ランチいこーぜ」の声がどこからともなくかかった。

合計4回、意外と合わないスケジュールの中で食事会ができることになった。

そうだ、辛いこと、心配なことがあった夜は

どんどんドツボにハマりそうになるけど、

自分には頼りにできる人が居て、年に一回くらいは食事をする機会があるんだってことを思い出せれば、

辛いことを引きずらないですこーし光が見えてくる、切り替えができる、「次行ってみようー」と思える気がしてくる。

自分だけに分かるように書いて、いつも目にするところに貼っておこう。

辛い思いは、立ち直りが早い方がいいのだ。

「両想い」になれるか、私次第🧡

悲しいことのあとには、嬉しいこともあるもので‥(長男よ⑦のあと)

子供の部活の付き添いなどでご一緒したことがある、あるお母さんから「ご一緒にランチでもいかが」とお声かけがあった。

ううう‥ヤッター(⌒▽⌒)!!。

何度かご一緒するうちに、彼女の「人間偏差値の高さ」に触れ、

私は「彼女と絶対友人になるべき」「こういう方とそうそう出会えるものではない」と、思い続けていた。

グチばかりになってしまいそうなタイミングで安易にランチなどに誘うことをしないで、関係を大切にしてきたつもりだった。

私はまさに「親しき仲には礼儀あり」という言葉を噛みしめている。

でも、だからこそあまり過度な期待はせず、ざっくばらんに、言葉を選んで、仲良くなりたい。

彼女と「両想い」になれるかどうか(^^)。

長男よ⑦YouTubeを我慢できない

私が仕事から帰るのを待っていてパソコンのパスワードを入れさせる。

塾から帰ってその足でまたパスワードを入れさせてYouTubeを観ようとする。

あのさ、で始めても話を聞こうとしないしようとしない。

じゃあパスワード入れてやらなければいいじゃん?と思いきや、長男は暴力や破壊に走ります。

この間だって、階段から突き落とされそうになったし、家中のクローゼットやタンス(つまり収納スペース)全部ひっくり返されました。ドアも外れました。

私にはまだ具体的にやりたいことがあり、会って話をしたい人もいます。予測のできない楽しいこともあると思います。なので、ケガをしたり、死んだり、したくないのです。

高校受験を控えてのこの状態、いつまで続くんでしょう?

普段から家庭不和(いちばん極端な例が殺人)をニュースで目にするたび「人ごとではない、人ごとではない」と、唱えるように考えています。

長男が何か起こすたび、気力・体力ともに奪われて家事もストップするので、部屋も荒れてきます。

ものを捨てるだけでなく、心の底から断捨離を理解して実行すると少し解決の糸口が見えてきそうな気もしています。

それは勘ではありますが、今の家の中の状態を見ていると私の考えは間違いないと思えます。

♯仕事をセーブして本当に断捨離しようとしてたら

♯コロナが広まって家族全員在宅で

♯機会を失った

♯家族がいたって断捨離すればいいじゃん?

♯家族が出払った家で考え方しながら断捨離したい

♯うちの家、爆発寸前だ

井筒八ツ橋本舗 京わらび餅 京都ぶらぶら は美味しい!

京都に行ってきた友人から、わらび餅をお土産にもらった。

日本茶を淹れて、わらび餅のパッケージを眺めながらいただいた。

美味し〜い!

約300グラム入っているので、決して軽い荷物とは言えないこのわらび餅を、友人の気持ちと共にありがたくありがたくいただく。

話は変わって、うちの夫と子供(20歳)は「いただきもの」の価値を「分かろうとしない」人たちで、ビリビリと包装を破り開けて

食べたり使ったりほったらかしたりする。

私も昔はそうだったのかもしれないな。

いい歳になった今は「人が自分のことを考えてしてくれること」のありがたさがよく分かるので、包装をされた状態を眺め、そこにある情報を読み取り、「開けてしまう」という行為は同じであっても、なるべく丁寧に開けて、夫や子供に少しだけ「いただいたもの、してくれたこと」について話す。

少なくとも自分だけは、生きている限り、そして認知症とかにならない限り「他人がしてくれたこと」への思いを巡らせることができるだろう。

夫は無理としても、子供は歳をとった時にそれができる人間になっていてくれるといい。

もちろん、パートで働けることも、大好きな家があることも、夫には感謝していますよ。

井筒八ツ橋本舗

♯京わらび餅

♯京都ぶらぶら

♯抹茶 ニッキ 柚子 があるみたい

♯今回いただいたのは「抹茶」

♯京都行きたい

♯大学時代の友人に会いに

脳卒中》とにかくすぐ救急車‼️

こんにちは。

「とにかくすぐ救急車を呼ぶ!」

脳卒中脳梗塞脳出血くも膜下出血)を

起こすと、られつが回らなくなったり言葉が出にくくなったり(一瞬間が空いたり)、左右片方の体を支えられなくなり崩れ落ちるように倒れたり(それでも何かをしゃべっていたりするのですが)、しますよね。

目の前で一緒にしゃべっている人にそのような症状が見られたら‥

すぐに「♯7119に電話」

または119(救急車!)に電話です。

「自分たちは大丈夫」

「人の世話にはならない」

「子供に教わることなんて無い」

スマホ(携帯電話)を使う習慣がない」

「え?救急車??必要ない」 「料理が出来なくなり部屋も散らかり放題、同じものが幾つもあるのに認知症だと認めない」 /p>

そういう高齢者は本当に怖いです。

愚かで怖いです。

(お父さんゴメンね。今回の件はそうなんだよ)

様子が変(倒れてる)。だけど人の世話にはなりたくない。なに、大したことはない、そう思って時間が経過するうちに、その5分、10分のうちに脳がどんどん壊れていく。

あと5分早ければ「脳の壊れ具合」がもう少し軽く済んだかも(機能が残ったかも)、と強く思います。医者じゃなくても間違いは言ってないと思います。

両親と離れて暮らしています。

どのくらい離れているかと言うとドアtoドア

(飛行機を使って)で5時間です。

話を聞いて「ああ、母がご近所で倒れてすぐに父が『こりゃまずい』と思ってくれてたら‥」と今でも思います。

母は崩れ落ちたあとも何かレロレロしゃべっていたようで、駆けつけた父は「(さあ立って)早く家に帰ろう」と促していたようなのです。父に知らせてくれた人が「ご主人、救急車を呼びましょう!」と持っていたスマホで呼んでくれたそうです。

母は入院。病名は「右脳皮質下出血」。

右脳の出血なので、左半身麻痺で期限ギリギリまで入院させてもらい、作業療法士理学療法士言語聴覚士の方のリハビリを受けましたが、改善せず、老人施設への入所となりました。

なんとか入院中と同等かそれ以上のリハビリが受けられないかと思い、地域包括支援センターの方に尋ねてみましたが、もしそれを望むなら退院後は個人で雇うしかない=分かりやすい言葉で言うと「脳梗塞後の長島茂雄のリハビリのような事例」のイメージとのことでした。

父はそれでも入院当初「いつごろ良くなって帰ってくるんだろう?」「家を改装(スロープとか)することになるだろうか」と話していたので、

「お母さんは2度とこの家に戻れない」と伝えなければなりませんでした。 

本当に残酷です。家の設計や設置してあるものすべて母が選んだその空間に、二度と帰ることが出来ません。父と共に庭いじりをしていて、「今度はあそこをこういう風にしよう」と考えていたと思うのです。それからご近所さんのところに行って‥それが長年過ごした家での最後に、突然、なるのです。 入院後すぐにコロナの影響が広まって、父は面会ができなくなりました。

高次脳機能障害をお持ちの医師、山田規畝子(やまだきくこ)さんの「壊れた脳、存在する知」「それでも脳は学習する」「高次脳機能障害者の世界 私の思うリハビリや暮らしのこと」という著書に出会い、生きている限り脳は補い合い、感じようとし続けると確信しました。

父にも送り、とにかく体に触ってさすったり(さすれるところ全部)画用紙に大きく書いた字を見せたり話しかけたり、父もやる気になっていたのですが、そこに来たのがコロナでした。

アクリル板越し、施設がいちばん神経質な時は父は外でガラス越しに母と面会(?)していたそう。

職員の方が「ほら、お父さん来たよ」「〇〇って言ってるよ」と側で伝えて下さっていたようですが、母の「父を認識できない度」は増すばかり。

そして父はスマホを持たないため、職員の方に動画の撮影をお願いすることも出来ず、コロナで飛行機移動できない私は母の様子が一切分かりません。時々施設にお電話して、様子を伺うくらいです。写真を送っていただくくらいです。

脳梗塞の症状や対処法をを知ろうとせず、スマホのような便利な道具を使い仲間や家族とやり取りをする同じ老人をバカにしてきた父と母は、今、もっとも情報弱者です。 バカじゃないけどバカです。

母が倒れる5ヶ月前、帰省していました。 コロナのコもなかった時期です。母は認知症の混乱の中、私に「父に女の人がいるようだ」と訴えていました。かなり必死に。 「父からひどいことをされた」「親戚でこんなことがあった」いずれも「私は被害者側」関係の話でした。どれが本当でどれが本当でないか、確かめようのない話です。

「女の人」の話はまったく違っているわけではなさそうで、父は老人の集まりで出会ったようです。

娘としてはお友達程度の関係で、お金がそっちに流れてなければ良しかな、と思っています。

施設の方が母の写真を送って下さいました。 顔も左半身麻痺の一部なので、笑顔が少し歪んでいます。でも良い笑顔です。たくさん話しかけてもらっているのでしょう。友人も少ないので、人生で今がいちばん他人と接しているかもしれません。友人を選んで「あの人イヤ、この人キラい」と言っていた母に「ね、お母さん、世の中にはいい人がいっぱいいるでしょう?」と尋ねてみたいです。

母が要介護5でほぼ寝たきり(昼間は車椅子)でも、私たちのことが分からなくても、心が穏やかな状態で昼間は周りのことをあれこれ関心を持てて(=どうしても注意力散漫(笑))夜ぐっすり眠れているようなら本当にそれで良いと思います。思えるようになりました。

お母さん、オミクロン株とか「第6波(なんやねんそれ)」とか、大事にならないで、「東京でも20人」「地方はほぼゼロ人」のままいけば会いに行けるので、どうぞお元気で。献立表も時々送ってもらうのだけど、季節を感じるものも取り入れてくれていますね。お母さんの笑顔から「たくさん話しかけてもらってるんだな」というのが分かります。

もし、このブログを読んで下さる人がいれば

「ご家族や、目の前でお話している人に脳梗塞の症状があったら、とにかく1秒でも早く救急車を呼んで!!!誰かを頼って!!」とお伝えしたいです。

処置がなされるまで何分、何秒速いかで、随分違うと思うのです。