「狭い範囲だけど、日々の社会との触れ合いの中で思うこと」

自分が社会と触れ合った範囲内のことですが、思ったことを忘れないよう書き残したい

いつまでも下手だと思うなよ

中学高校、そして大学も部活動クラブ活動をやらずに来てしまった。

上を目指して練習することはもちろんだけど、人間関係を学ぶ貴重な時期だったと今痛切に思う。

「運動なんかはやらなくていい」という、あまりにも世間知らずな労働経験なしの母の下、部活動に参加しないでいたら、高校の担任が私を見ていて「帰宅部ダメ」と言ってくれて、途中からマネージャーを約1年間やった。

でも「途中から」の参入は肩身が狭くて、「マネージャーとしての仕事」はとても楽しかったが、それ以外の部室で着替えながらのおしゃべりや冗談を言い合う時間などは得意ではなかった。人数で勝っていた一つ下の後輩からイジメられたりもした。

今、チームスポーツをやっていて「言葉に気をつけないといけない場面がたくさんあるなぁ」と思うことが多い。

なので「友人とおしゃべりする」ノリでは決して話せないし、何か意見ぽいことを言う時も私の中では細心の注意が必要だ。チームスポーツをやったことがないのだから。そんなつもりはなくても「え?それってこういうこと?(悪い意味)」と受け取られることもある。

「本当の自分が出せてない」と感じることもあるが、チームのみんなが好きなので、ちょっと嫌なこと悲しいことがあっても、普通に暮らしていたら出会わない貴重な修行の時間を持たせてもらっていると考えるようにしている。

そんな中で、自由に自分を出していいのは「上手くなること」だ。どんどん上手くなってポジションをもらうのは私の自由なんだと

ここ1ヶ月くらいの練習や試合の中でなぜか気持ちが湧き出てきた。

こういうふうに考えられるようになってから、「自分さえレギュラーで安泰ならそれでいい」「今のは自分が悪かったんじゃありません」「そこ何やってんの?」など、私が内心「ニセモノ」と認定している人のことが少し気にならなくなった。例え一瞬「このヤロー」と思ってもそれを引きずらなくなった。

「自分はここまでなのかな」という考えが頭の中からなくなってから練習が俄然楽しくなってきたし、「上手い人に聞いて教わろう!尊敬できるチームメイトとどんどん仲良くなろう!」「上手くなりたい気持ちと、どれだけ訓練するかは私の自由なのだぁぁぁ!今に見てろ」と、人に対してじゃなくて自分に対して思えるのが嬉しい。

どうかこの気持ちが持続していきますように。