「声高に話す人」だけに「何かが起きてる」わけじゃない。
職場で、社員と仲が良い?いつのまにかタメ口で冗談を言い合ってるパートがいるので、
それを見ながら(聞きながら)考えた。
利用者のその日のエピソードを、面白おかしく話したり、「過去の利用者にこんな人がいた」ことを話したりして、社員の関心を引きつけている。
まるで「私の周りにだけこういうことが起こっていて、それが面白いの」と言わんばかり
なのだが、
どんな集団にも、自分の話しかしない人は必ず居て、
20年くらい前のバイト先のバーのママさんが
「自分の話ばーっかりする人いるやろ?まるで自分の周りにだけ出来事が起こってるように話すやろ?違うのにね。みんなそれぞれ身の回りにいろいろ起こってるのにね。わざわざ言わないだけなのにね。勘違いしてるのと違うか?」と話していて、
それまで「自分の話しかしない人」に抱いていた違和感が、何によるものか分かった気がした。
それから、というわけではないけど、例えば大学の寮時代の友人4人とか、会社の同期5人とか、集まる機会に「1人の人の話ばかりになってるな」と感じたら「ところで○○さん、前に言ってた○○はどうなったの?」など、話を振るようにしていった。
1人の話だけで不公平だ、というよりは「せっかく集まっているので、全員の話が聞きたい。聞かないのはもったいない」という気持ちからだった。
最近だと「知り合ったばかりの集団」の中では「ここにも居たか」って感じで「自分の話しかしない人」はどうしても出てきてしまう。力の関係で「居る人全員平等に発言機会を作れない」場合もあるけど、
私の根っこにはやはり「どんな話が出てくるのが未知数だし、とにかく全員に喋らせないともったいない!全員の話が聞きたい!」との思いがある。
人が集まれる機会って、実は多くない。気の合うママ友だってお互いパートに出てたり子供が受験をしていたりすると(この1年半はコロナもあったし)、1年ぶりなどは当たり前だし、会えたとしても、あとから「これについても聞きたかったな」「し忘れた話があった」と振り返ることもある。
会えたとしても、食事して話せるのはせいぜい2時間〜3時間だし。大事な時間。
50過ぎると、友人は「数は少ないけれど、内心お互い気持ちよくお付き合いのできる人」になってきているので、その中に「自分の話しかしない」人は幸い居ない。
だから、久しぶりに「自分の話しかしない」
「自分の出会ったエピソードの話しかしない」人を目の当たりにして
「こういう人、やっぱりいるんだー」からのブログになった。
偶然だけど、高校PTA時代の「気の合う友人」とのランチが1年ぶりに決まったあとだったので、余計に感じで比べてみたくなったかもしれない。